🪐庭戸のキャンプ地🪿

創作や生活など、全部のことを喋るよ。

カウンセリングの基本的な姿勢として「話し手の問題を聞き手が解決しようとしない」というものがあることを教えてもらってなるほど…と感心すると同時に、その難しさについて思いを馳せてた。
でも、これは結構色々なものに通じるなと思った。なんでも自分にとって既知の概念にくっつけてしまうのは私の悪い癖だけど…やっぱり俳句的。(俳句万能説?)#考えごと

たまにscp読んで現実逃避してるんだけど、評価の高い傑作scpは結構「語らずして語る」方式で徹底して作られてることが多いなと思う。
モノそれ自体の描写は無いかごく控えめで、その周辺情報を書くことによって、そのモノの輪郭を浮かび上がらせるような。
読み手の推測力、想像力を主体としている。読み手自身が結論を出し、完成させる。scpのコンセプト自体にその感じがある。あくまで「報告書」という体裁があり「お話」として存在しているわけではないぶん、ふつうの創作物よりもそういう読み手主体の面白さが強いのかもしれない。参加型ギミックも多かったりして。
俳句的…。答えを出すのは私ではなくあなた、という姿勢…。答えを出さずに「あなた主体」を保ったまま補助的に思索のツール(または感受性を映し出す鏡)として存在することが望まれる。相手が主体的に見つけた答え(もしくはそこにたどり着くまでの過程)にこそ価値がある。
ただ、誘導&介入度が低ければ低いほど、時間がかかったり難易度があがったりにもなるだろうから、塩梅が大事なんだろうな。

めちゃくちゃなこと言ってる気もする。(scpと俳句とカウンセリングを並列に語ってたらなんだか怒られそうな気もする。許してください)畳む
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