🪐庭戸のキャンプ地🪿

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『あなたの知らない脳 意識は傍観者である(ハヤカワ文庫NF)』
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どこまでがその人の「器質的な(身体的な)」問題で、どこからがその人の「精神的な(性格上の)」問題なのか厳密に区別することって可能なのかな?って思ってたから、その答えが書かれててドキン!てなった。
その2つを区別することに意味はない。同じである……うわーーーー。
この本、私には少々難しい部分もあったけどめちゃくちゃ面白かった。以下感想(長い)

◾️私たちを支配してるのは意識ではなく無意識ということをこれでもかと説明されてめちゃ面白かった。意識は最初ではなく最後に発生するものなんだって。自分の脳と筋肉の働きの辻褄を自分自身へ説明するためにある。無意識が何もかもを判断し体を動かしていて、意識は無意識がやってくれたことを後から報告として一部受け取ってるだけ。すごすぎ、おもろ…。実感として逆すぎる。

◾️盲点の話も面白かった。視覚の盲点ってそこそこデカイんだけど、盲点になっている箇所は「何も映らない」のではなく「脳が周囲の情報をツギハギしてそれらしい風景を”でっちあげている”」そう。Photoshopすぎる。コンテンツに応じた塗りつぶしかい。

◾️分離脳の話はYouTubeで観て知ってたんだけど改めて面白すぎる。この状態の人に特定の指示をすると、左脳と右脳が情報を共有していないゆえの矛盾をどうにか埋めるように作話をすることがある。「わからない」と言うのではなく。これも非常にコンテンツに応じた塗り潰し的だ…。
分離脳の例で、とにかく本当に意識って最後なんだ、ということに驚く。こういうことにしておこうって、脳と身体が結託して、私を納得させるためのストーリーを渡してくれる。言い聞かせるように。それを私は受け取るだけで、私が意思決定してるわけではない。

◾️他人の手症候群の事例も面白かった。日常の中で私にとって最も自分自身へのアクセス権の無さを感じるポイントは環境変化による不眠症だけど、これがもっと明確に深刻かつ能動的なのが他人の手症候群なのかなあ。想像。別の脳、別の意思決定者が自分の中にいるという感覚は怖い。

◾️「脳はライバルからなるチーム」というフレーズが何度も出てきて、葛藤することが人間の本質なのかもと思った。自分の中で複数の意見が競合している状態が当然であって、それをうまく仲裁するのが意識、だそう。

◾️「意識」が自分自身に関与できる割合が思った以上に低く、不透明であることがわかったことで、生物学と法律が緊張関係にあると書かれていてドキドキした。発達心理や犯罪心理の本を読んでいるとき、同じような考えに触れることがあった。「私」は私が選んで作り上げたのではなく、遺伝子や環境によって作り上げられたもので、私の脳の発達に関して私自身が選択したものなんて、ほとんどない。その私が犯した罪に対して「私」にどの程度の責任が問えるのか?また、私たちがそれぞれ全く違う脳を持っている以上、同じ条件に立つことが絶対にできない。物質的な科学が哲学とか倫理の問題に発展していくのてすごい。

◾️例えば昔、病理に対して「悪魔が憑いた」と説明して悪魔祓いを治療として用いていたこと、現代人には信じられない。
けど、未来人なら「脳の神経系の器質的な問題」として治療にあたることを、現代人は「その人の人格的、性格的な問題」と捉えて処罰していて、未来人からすると今の私たちは「悪魔憑き」と同じくらい古めかしくて非科学的な判断をしているのかもしれない。と思うとすごい。心や自由意志の存在すら「非科学的で古めかしい迷信」になっていくのかもしれない。脳科学の発展、怖い。

◾️ 最後に量子力学の話が出てきて嬉しかった。物理学と神経科学が交わる可能性があるかもしれない場所…量子力学…約束の地…(?)

ちまちま読んで半年くらいかかっちゃった。総じて「私」というものの範囲と正体が不明すぎる…というドキドキ。
直感は正しい派なんだけど、無意識の側で細かいことを判断してくれていて、意識は最後だということを知ると、やっぱり無意識の方が先に色んなことわかってるんだなあという気持ち。
プロの将棋の棋士さんは、実際に何十手先をシミュレートしてから駒を置くわけではなく、直感で置くそう。思考の結晶が無意識のレベルまで到達してるんだと思う。スポーツ選手も鍛えあげてこのような脳を作ってるんだろう。本当にすごいことだ…。畳む
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