🌷庭戸のキャンプ地🌷

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カイジの和也編・ワンポーカー編読んだ!昔に途中まで読んでたのをちゃんと最後まで読んだ。面白かった!以下感想✍️

◼️福本先生はオリジナルのギャンブルとかゲームでも、やったことある人じゃないと絶対描けないような心理が描けるの本当すごいと思う。実際にやってみるのかな…?
特に救出ゲームで、救出者がボタンを押すか迷ったとき、中盤では不信と非難だったのが14回目では「押してくれてありがとう」の号泣になるのがめちゃくちゃすごいなと思った。あと、金が全てだ、と金なんてクソだを同時に描いてるの本当にすごい。

■福本先生の描く心理戦の描写って、苦しいよ苦しいよってところがメインなのめっちゃ好き。読み合い騙し合いが鮮やかでカッコいいとかもあるけど、それよりずっと苦しい苦しいがメインなのが…苦しい迷走をリアルな臨場感でずーっとやってるのが好きすぎる。哀れみとかおかしみがある。愛せる。福本世界で最もファンタジーな存在である(個人の意見)赤木さんですら、妙な生活感とか素朴な愛らしさがあるところが本当にいい。

◼️カイジくんの優しさって共感性でしかないことがとても良いなって思う。憂さ晴らしに他人の車に傷付けて回るようなヤツだから、当然真っ当な人間でも善人でもなく……。ただ共感性が高いから、他人の立場を強烈に自分ごととして味わってしまえるときがあって、その結果として、人を信じたり助けたりもしてしまう。
でもそれって実際に優しさというものの一つの正体なのかもしれないな。和也は「この世で最も強力な愛は自己愛だ」と言ってたけど、それってカイジにもじゅうぶん当てはまってて、カイジは他人を助けるときがあるけど、他人を愛してるわけじゃない。愛してるから助けるわけじゃない。ただ自分ごととして感じて耐えられないから助けるんだよね。
だから優しさに愛は必要ないのかも。痛みを共感さえできれば。

◼️人生を「今出た賽の目」に委ねてしまうことの強烈な時間の歪むような感覚ってなんだろう。「この一瞬」の濃度があり得ないくらい膨れ上がる感覚。
人生は選択の連続だけど、日々行う選択の結果って、すぐに目に見えるものではなく、後になってわかったりするものだから…選択の是非を極限まで濃縮して単純化して「賽の目」「カードや牌の種類」まで記号化したのが博打なのかも。濃縮し記号化された生き死に。人生の長さや曖昧さに耐えられないということなのか。
人間は未知のものや、コントロールできないことに1番恐怖を感じるから、運も同等に恐ろしい。運を極端に記号化した賽の目も本当に恐ろしい。本来なら意味を持たない賽の目に、勝手に意味をつけて、そこに合わせて破滅する。それに痺れる感覚って、宇宙的恐怖の擬似体験だなと思う。神様も宇宙も人間のことなんか知らないし、わかってくれないから。自分ではコントロールできない圧倒的な現象に命を握らせる、乗るか反るかのドーパミン的快楽…カイジくん自分でも自覚してるし周りからも言われてるけど、もう完全に中毒なの少しせつない😂
#福本作品 畳む
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