🪐庭戸のキャンプ地🪿

創作や生活など、全部のことを喋るよ。

さっきの投稿で「心を癒すことと物質的な解決は必ずしも関係しない」と書いたけど、そこに関連して、合理性と愛って対極にあるんじゃないかと思えてきた。
囚人のジレンマ(ゲーム理論)は全員が自分の利益を最大限追求するというルールのもとにしか成り立たず、誰かが自分以外の人の利益を優先しようとしたとき崩壊する。

愛って合理性を考慮しないことかもしれない。狂気と言い換えることもできる。だから福本作品でも、合理より狂気を崇高なものとして描いてるのかなあ。

「合理性」って全員にとって共通の価値があるもの、普遍的な価値が認められるものだと思う。だから理というんだと思う。それを越えさせる愛や狂気っていうのは、その人にしか価値のないもの。純然たる主観の世界。
客観世界の住人である合理にとって、主観世界に住む愛や狂気は、崇高で、唾棄すべき存在かもしれない。自分に100%betしている状態ってそういうことかも。決して客観世界からは生まれない。
#愛について #考えごと
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