🍋庭戸のキャンプ地🥝

創作や生活など、全部のことを喋るよ。

ドラクエ11で
①カミュが黄金化が始まったマヤに手を伸ばそうとして引っ込める
②それを後悔していたカミュが2度目は黄金化を恐れず手を伸ばす
のシーンがちょっと泣いちゃうくらい好きで、そこについて思うこと。

長いので続きに。

最初にマヤが黄金化するシーンで、カミュが手を引っ込めたのは普通に正解なんだよね。あのまま手を取ってたらカミュまで黄金化して、解決できる人は誰も残らなかった。カミュが手を引っ込めるという合理的な判断ができたから、その後の冒険を経てマヤの黄金化を解除することができた。

でも、マヤの心が癒やされたのは、黄金化が解けたからではない。今度はカミュが、自分も黄金になってしまうことを恐れずに、マヤを抱きしめてくれたから。手を引っ込めてしまった自分の選択を後悔し続けて、今度は「自分がどうなろうと関係ない。マヤが大事だよ」って迷わず行動で示してくれたから。

だから、たとえ黄金化が解けなかったとしても、2人でそのまま呪われ続けたとしても、手を伸ばして抱きしめてくれた時点でマヤは救われていた。
黄金化が解けるとか呪いが解けるとかは、些事なんだよね。関係ない。

逆に言うと、マヤが絶望した瞬間は「黄金化の呪いが始まったシーン」ではなく「カミュが手を伸ばすのを躊躇ったシーン」であり、そのことをカミュもよくわかってたんだろうな…

心を癒すことと物質的な解決は必ずしも関係しないということをよく表してる素晴らしいシーンだと思う。

マヤがわがままで、カミュに色々と要求するのは、そのモノを通してカミュが私を愛してくれていると確認するために他ならず、お宝や宝石がほしいと言うのは、その要求を通じて兄と過ごす時間や、兄からの愛を要求している。
カミュもそれがわかってるから、マヤが可愛いし大事なんだろうね。

愛は常に、何かを通してしか渡すことができない。モノをあげる、抱きしめる。愛してるよって言う。「愛」そのものを直接与えることはできない。

#ドラクエ #愛について畳む
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