🍋庭戸のキャンプ地🥝

創作や生活など、全部のことを喋るよ。

さみしいお話が読みたい。気が狂うほどのさみしさを浴びたい!さみしさの中に含まれる愛しい懐かしさを浴びたい…もっと…!さみしさって、優しさを懐かしむ気持ちかもしれない。
それでいうと「懐かしい」もめちゃくちゃスゴい感情だと思う。さみしいとうれしいのハイブリッド。微笑んでしまうような懐かしい、は嬉しい成分が多めで、耐えられないような懐かしい、は淋しい成分が多め。

今ここにはないもの、手に入らないもの、過去や遠いものを想う気持ちがこの世で1番好き。宇宙の好きさの一端でもある。絶望的に遠くさみしく恋しい。
何もないことよりも、かつてあったことの方が淋しい。辛い記憶よりも、温かい記憶の方が淋しい。それは切望しているから…今ここにないそれを狂おしく懐かしんでいるから…。でも、今ここにないことを嘆いたり怒ったりせず、ただ受け入れること。それがポイントかもしれない。さみしさを他の感情に変換して発散しないこと。
さみしさと懐かしさのファンだ!サインしてください。
#自分の好きを整理しようの会
#考えごと

⭐️このような気分のときに良い曲
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カウンセリングの基本的な姿勢として「話し手の問題を聞き手が解決しようとしない」というものがあることを教えてもらってなるほど…と感心すると同時に、その難しさについて思いを馳せてた。
でも、これは結構色々なものに通じるなと思った。なんでも自分にとって既知の概念にくっつけてしまうのは私の悪い癖だけど…やっぱり俳句的。(俳句万能説?)#考えごと

たまにscp読んで現実逃避してるんだけど、評価の高い傑作scpは結構「語らずして語る」方式で徹底して作られてることが多いなと思う。
モノそれ自体の描写は無いかごく控えめで、その周辺情報を書くことによって、そのモノの輪郭を浮かび上がらせるような。
読み手の推測力、想像力を主体としている。読み手自身が結論を出し、完成させる。scpのコンセプト自体にその感じがある。あくまで「報告書」という体裁があり「お話」として存在しているわけではないぶん、ふつうの創作物よりもそういう読み手主体の面白さが強いのかもしれない。参加型ギミックも多かったりして。
俳句的…。答えを出すのは私ではなくあなた、という姿勢…。答えを出さずに「あなた主体」を保ったまま補助的に思索のツール(または感受性を映し出す鏡)として存在することが望まれる。相手が主体的に見つけた答え(もしくはそこにたどり着くまでの過程)にこそ価値がある。
ただ、誘導&介入度が低ければ低いほど、時間がかかったり難易度があがったりにもなるだろうから、塩梅が大事なんだろうな。

めちゃくちゃなこと言ってる気もする。(scpと俳句とカウンセリングを並列に語ってたらなんだか怒られそうな気もする。許してください)畳む
#考えごと
辻褄が合うということは人間の本能的な快感なんだろうな。
一時期人狼ゲームのログ観戦するのが趣味だったんだけど(根暗オタクの好例?)その面白さをよく感じていた。
ストーリーのない事実よりもストーリーのある嘘の方が強い。事実は、ときには意味のない偶然の連続だったりする。「意味のない偶然の連続」なんかに人は耐えられない。

どちらを信じるかという局面に陥ったとき、人が選ぶのは納得感のある方で、納得感というのはつまりストーリーがある方で、そのストーリーに、より辻褄が通っている方。人間は物語としてしか事象を解釈できない部分がある。
真実には意味がないこともあるが、嘘には必ず意味がある。人間に「意味のない偶然の連続」を創作することは難しいと思う。(それをするメリットも薄い)

本のタイトル覚えてないんだけど、むかし未解決事件のルポルタージュ本を読んだとき、ちょっと衝撃的だった。この現実世界に神様はいないんだと思って怖くなった。少なくとも、神様は私達の方を見ていない。そっぽを向いている。いたとしても人の思考を持っていない、昆虫のような神様だと思う。

フィクションの世界のなんてあたたかいことか。フィクションの世界には作者という人間の神様がいて、キャラクター達のことを見守ってくれている。どんなに残酷な物語でも、物語というだけであたたかい。辻褄があって、全ての描写に意味が持たされている。人の手が入っている。無意味な偶然の連続や、関連性のない事象の断片ではない。
現実はフィクションと違って、無機質で広大で、意味は繋がらないときもあって、私たちの都合なんて微塵も考えてない。
だから人は物語に惹かれるんだろうと思う。現実があまりにも物語ではないから。物語ではない現実にいつも耐えかねていて、物語を欲しがる。

一方で、意味がないことや、辻褄がないこと、理不尽なこと、コントロールできないことに対する怖さに無性に惹かれる。そういう冷たいわからなさに痺れる。宇宙のことが好きなのも、そういう冷たさがあるからかも。人の都合なんて全く知らないし、わからせない、遠い冷たさ。昨今そのムーブメントが盛り上がってるんじゃないかと思ってるけど、ずっとあるのかも。
#自分の好きを整理しようの会
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もののあはれは人間の永遠に対する根源的な思慕からきてるっていう指摘を見て良いな〜って思った…永遠や絶対や確実なものがこの世には存在しないことに対してのかなしみ。

永遠に憧れるのはみんなそうだけど、それがこの世にはない、って諦めている切なさを「儚い」で味わい深いものとしてるの仏教的感覚って感じする。わからんけど…
#考えごと
#考えごと #私について  

大人になってから、より自分の内面についてよく考えるようになった。

自分の中にはたくさんの問題があって、それを解決するために、カウンセリングと自己分析をやってるんだけど…「公平であること」が私の中にある強烈なこだわりの一つであることが最近わかった。意外だったけどその背景込みですごく腑に落ちたし、点と点が繋がりまくって面白かった。

私のストレングスファインダーの上位3つ
1.内省
2.公平
3.共感

私は自分の内面についてよく考える方だけど、それでもブラックボックスになってる部分が多い。
ああなりたい、こうなりたいという願いは色々あるけど、最近は良い人間になりたいと思う。良い人間にならないと、どうにもならないというか、どうしようもない。畳む
さっきの投稿で「心を癒すことと物質的な解決は必ずしも関係しない」と書いたけど、そこに関連して、合理性と愛って対極にあるんじゃないかと思えてきた。
囚人のジレンマ(ゲーム理論)は全員が自分の利益を最大限追求するというルールのもとにしか成り立たず、誰かが自分以外の人の利益を優先しようとしたとき崩壊する。

愛って合理性を考慮しないことかもしれない。狂気と言い換えることもできる。だから福本作品でも、合理より狂気を崇高なものとして描いてるのかなあ。

「合理性」って全員にとって共通の価値があるもの、普遍的な価値が認められるものだと思う。だから理というんだと思う。それを越えさせる愛や狂気っていうのは、その人にしか価値のないもの。純然たる主観の世界。
客観世界の住人である合理にとって、主観世界に住む愛や狂気は、崇高で、唾棄すべき存在かもしれない。自分に100%betしている状態ってそういうことかも。決して客観世界からは生まれない。
#愛について #考えごと
優しくなりたいのに何故か色んなことを敵意に感じてしまうときがどうしてもある。そうなると、あ、今調子が良くないんだな。と思う。
自分が自分に対して思ってることを「他の人もきっとそう思ってるに違いない」と無意識に思ってしまう癖がある。こういう心の機能が人にはある。私はそれをやりがちだと思う。
調子が悪いとき、自分のことを敵視しているのかも。
事実と思い込みを分けて考えないとね。事実で落ち込むのはいいけど、推測・妄想・思い込みで落ち込むのはよくない。事実のみで落ち込めるようになりたいもんだ。
#考えごと
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