

繊細であることって攻撃性の高さにも繋がることをすごく感じていて、気をつけようと思っている。ここが善の繊細人間・悪の繊細人間の分かれ道かもしれない。敏感さから被害妄想的になって周りを攻撃したり、自分でケアできなかった感情を他人にぶつけて、無自覚ケアされ待ちする人をよく見てきた。自分にも似た気質があるから、反面教師だなーと思った。
小さなことで感情が波打っても、誰かにぶつけさえしなければ、ないのと同じで、良い人間でいられる。私は善の繊細人間を目指すのだ。
でも、繊細さから来る攻撃性を、自分に向けて自滅してしまうパターンもあると思う。他人に向けないのはえらいけど、それだけでも難しくて、正しい処理をする訓練をしないといけない気がする。適切なやり方で人に頼るか、自分でケアの方法をたくさん持っておく。
他人との境界線を守る強さ。自分で自分のケツを持つ強さ。善の繊細人間の最も高みにあるのが、強(つよ)の繊細人間なのかもしれない。やはり、目指すか、強(つよ)の繊細人間を…。生涯の目標にしてもいいかも。畳む


信一傳のときも思ったけど、龍兄貴って信一という子どものプライドとか体面みたいなものをかなり尊重してるよな…。そういう人なのか、それとも信一という個への取り扱いがこうなのか…。
そしてけっこう厳しい教育施してる!(この時点ではまだ他人なのに…)と思いきや結局めちゃ優しくて笑う。祖哥哥〜!!
秋兄貴と仲良しなのすごいかわいくて驚いた。👍のくだり…原作ではさすがに龍兄貴の死因とかあの辺のくだりも全然違うんだろうな。
7月に翻訳版が出る!!嬉しい。信一傳も翻訳されるのかな?Google翻訳と肩組んで読んだけど、半分も理解できてないと思う…是非刊行してほしい。
信一傳で描かれた11歳の信一は、その時点ですでに大人顔負けの冷たい才能がほの見えている描写がいくつかあったと思っていて、反抗期の入り方も「なんで殺してくれなかったの?」なのが…。表情豊かでちょっとナルシストで家族想いの可愛い子なんだけど、こーゆー鮮やかな暗さが存在してるのはマジで天性なんだろうな…原作の信一。6歳で狂犬の片鱗見せて、元気いっぱいでイイネ😄👍畳む

人を壊すのは怒りでも悲しみでもなくさみしさで、それは社会的動物だからなのかな。個として生まれたのに、庇護されなければ(愛されなければ)育つことができない、進化上の欠陥のせいなのか。
ともかく、人と繋がるように仕組まれている本能がある。どれだけ個として存在していたくても「さみしい」という精神面での本能が、食欲や睡眠欲のように存在していて、ある程度それに従わざるを得ない。
怒りは2次感情という話があるけど、それで言うとさみしさは0次感情だと思う。
さみしいという本能を抱えてる人類にとって「完全な愛」という幻想はとんでもなく魅力的な響きを持っている。完全な愛っていう存在しないものを、ドーナツの穴のようなものを求めて、そのフチをぐるぐる回ってる、さみしいの呪縛がある。
存在しない完全な愛ではなく、不完全だけど存在する愛の断片を、笑って受け取ったり渡したりできるようにならないといけない気がする。傷ついたり傷つけられたりすることを、許したり許されたりする…果てしなく大変。#愛について畳む

#九龍城砦
・吹き替えの声も可愛らしかったけど、あの「見たくない、仕事に戻ろうよ」のシーンあまりにもあまりにも本人の演技と声が良すぎることを再認識した。あの子どもの嫌がって泣く声、痛切さ、あれはどうやっても再現できるもんじゃないな。
最初はぼんやりしてるのもリアルすぎてきつい。それに、駆け寄ってお母さんって泣くんじゃなくて、見たくない仕事に戻ろうよなのがなんかすごくて。字幕もう一度行こう…いつまでやってくれるのかな。
・特別映像で一瞬だけど、お母さんのお膝でご飯食べさせてもらってるユーダンムイちゃんいたよね?まだ1回しか観てないからうろ覚えすぎるけど…あそこ美しい絵だった。ムイちゃんの中にお母さんとの温かい記憶が少しでもあったんだと思いたい。洛軍に「ご飯抜き?」ってご飯幸せだから聞いてくれたんよな。畳む
↓最近買ったテーブルヤシ。影の形までかわいい。330円で買えるものの中で一番かわいい。