
↓ネタバレ込みのお喋り。
阿翔の全ての行動表情仕草があまりに健気で😭「遺影は長く残る」とか「地獄で喧嘩をふっかけられたら」とか、死ぬための旅っていうテイを守りながら、なんとか元気づけよう生きさせようとしてるの胸がギウ…てなる。天宇先生、阿翔をシャワー室に戻す手の力は異常に力強いのに髪を拭いてあげるのは異常に下手でほんまにかわいい。天宇先生って微妙に変で可愛い。
最後、電車のシーンで終わりじゃなくて海でお話してるシーン入れてくれたの、これから2人の関係は続いていくよってメッセージな気がして嬉しい。
そういえば私は不思議と、阿翔と潤發を別の人間だとあまり思っていない気がする…なんでだろう。自分でもわからない。幹や根は繋がっているから、その先に繋がるどの枝もどの葉もその木であることには間違いない…というイメージなのか。とはいえ、「あの夏の阿翔」を想うとセンチメンタルな気持ちになる。
その人を構成する要素として記憶や経験(特に生育歴)ってすごく大きい。経験が人格を作ると思う。でも、例えば親しい誰かが私と過ごした時間を全て忘れて二度と思い出さないとなったとき、心から淋しいけど、別の人間になってしまったとは判断しない気がする。となると、経験や記憶はその人を構成する全てとは言いきれないようにも思う。
その人を定義する全ての条件を抜きに、単にその命を愛することもできるのかもしれない。そんなことができたらロマンチック。畳む

❤️🌈🩵追記💛🌈💚
一軒電話が繋がらなかったお店に直接行ってみたらあった!!!とっといてくれてた😭ありがとう!!もう2度とお前を離さない😭😭😭

感覚として…厳密には「恋愛」という感情はなくて、相手に対して特別に抱くさまざまな実際の感情の集合体(憧れ・好感・独占欲・信仰・執着・性欲などなど)に、その名前を冠することで一括に取り扱ってるイメージ。「恋愛」はパッケージで、中身を何にするかは割と自由で、たくさんの線密な感情が、オリジナリティを持って配合されてるものという、懐広めのものとして見ている。
その人を他の人と区別し、自分にとって何者にも代えられない存在として選り分ける根拠となるための感情であれば、何が入っていてもいい。もともと大量の曖昧さを内包しているものとして捉えているから、気安く使っているのかも。
また「付き合う/恋人になる」というのは、お互いを唯一特別として扱うと約束すること、お互いの未来を同じくするとその間だけでも約束すること、というイメージかな…。
私は性愛を必須としない恋愛も好きで、恋愛として描くし見るけど、それはブロマンスや巨大感情と表現されることもある。つまり、一般的な恋愛の定義は私が思っているより狭いのかもしれない。
⭐️追記
まだフワフワしてるし完全にしっくりきてない。言ってることそのときそのときで変わってるかもしれない。また考えよう。畳む

でっかでっか杏仁豆腐を4日かけて食べるなどに取り組んでいる。主食ほぼ米なんだけど、米食べたくない期に突入してる。これが夏バテ…?杏仁豆腐・豆乳・ポテチしか食べたくない。全てを諦めた人の食卓。

苦しい展開もあったけど…全体的に画が幸福に満ち溢れすぎていてなんだかずっとうっとりしてしまっていた。花火大会のとき阿翔があきらかにおめかししてたのほんとに可愛い〜。この映画、私は2人の関係についてかなり恋愛として描かれてるなーと思った!少なくとも恋愛の始まりくらいの感じ。恋として描いていない場合に違和感のある描写が結構あった気がする…嬉しいよ。マジで幸せになってほしい。私は幸せが好きだから、幸せをおすすめする。
追記⭐️
結構いろいろな意見があるんだな…。作中でも広報でもそういう言葉を使ってないのは、どう受け取ってもいいよって余白を持たせてるんだね。すごくいいね。どう受け取るかはもちろん各人の自由だとして、私は恋愛として解釈するのがいちばん腑に落ちるなと思った。花火大会の頃にはそんな感じだな〜って、お互いに何か特別な気持ちが芽生えているような感じにドキドキした。私のいう恋愛の定義がちょっと変なのかもしれないなーとも最近はよく考えてるけど…。
いろいろな意見を見ることがあるけど、その中のバリエーションの一つとして、自分が感じたことは大切だから、素直に書いていこう。畳む
「天宇、死なないで」の言い回しの幼さに切実さがこもっている感じがしてたまらない。翻訳の具合だとしたら天才すぎる。気持ちが余ってるよーこれハマってる状態なのか…。
山下達郎の僕の中の少年という曲が大好きなんだけど、サブスクにもYouTubeにもないため紹介できず、無念。畳む