🍋庭戸のキャンプ地🥝

創作や生活など、全部のことを喋るよ。

#愛について
やっぱり愛されることで埋まる孤独もあれば、愛することでしか埋まらない孤独もあると思う。だから愛をひっかけるための釘なんだよね📌
愛は「唯一無二の運命の相手に巡り合う」ところから始まるのではなくて、その人を愛してみようと決めるところから始まる、という部分もあると思う…うまく言えないけど。

今ここにいて自分に出会ってくれた偶然性こそが唯一無二なんだって気もする。人生は一回きりで、人間はめちゃくちゃ多くて、そのうち9割以上の人とは関わらず死んでいくから。
星の王子様の薔薇が特別なのは、その薔薇にかけた時間のためだというのが好きだ。時間を割いたから特別になる。時間という絶対取り戻せない資産を使った。同じ時間を共有した。その経験が他の薔薇との価値を決定的に分けている。他の薔薇と王子様の薔薇のちがいはたったその一点で、それは客観的な価値ではなく極めて主観的な価値で、主観的な価値というのは比較できないため強い。
でも逆にいうと、この人に時間を使おう、と思える程度の好意や特別性は愛の始まりに必要不可欠かも。それはそうか。

こういう鬱陶しいことを平気で書ける場があるの嬉しい🫶畳む
創作物の中で「無償の愛のようなもの(と私が判断したもの)」に触れるとそれがどんな些細なシーンでも泣いてしまう。頭で何か思うより前に身体反応として泣いてしまう。

え!なんか泣いてしまった…そうかこの描写に愛を感じたのか私は…という。謎の全自動判断システムが私の内部にある。体調にもよるけど…。
#愛について #私について
「愛とは、相手の存在が、あなた自身を愛させてくれることだ。」

—『私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)』平野啓一郎著
https://a.co/580rx2D

心なしか水戸洋平を感じる…📡
98話の返しが素晴らしい理由…洋平がすごいって言うんじゃなくて、花道が自分で「オレってすごいのかも」って思えるような言い方…
オレがおまえを愛してるって伝えるんじゃない、花道が花道を愛せるように…オレがじゃない、おまえが主体、おまえがおまえを愛せるように…
庭戸じゃなくて〜真実の愛のハイエナ〜にHN変えようかと思ってる。真実の愛のハイエナに嗅ぎつけられた水戸洋平(かわいそう💦)って、やっぱ真実の愛なんだろうな…
#よはなよ∞  #愛について
『私とは何か 「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)』
https://a.co/580rx2D

ずっと前にどなたかが紹介してて気になってた本。読んだ。かなり実感と合致してて腑に落ちた。すごく面白かった。

以下散漫な感想

◾️「”本当の自分”は存在しない」というのは、少しショッキングな字面だけど、読めば読むほど温かい考え方だと思った。前に伊沢さんの個性の使い分け方が好きって書いたことを思い出す。

◾️依存先を増やすことがメンタルの安定に必要という話があるけど、この分人という考え方もそれに近いものがある。

◾️#愛について の項目がすごく良かった。「あなたといるときの私が好き」を軸にして考えていいんだ。それは自己愛じゃなくて、ナルシズムじゃなくて。
◾️恋と愛の違いについても軽く論じられてた。前から思ってたけど私は恋が描けない自覚がある。友情?愛情?みたいなBLしか描けない自覚ある。よく言われる。なんでだろうね…。特に性的スリルを伴う恋のトキメキを描くのが難しい。

◾️私ミステリアスなキャラクターって好き。どれが本当のあなたなの?と思いたくなる、どれか一つが真実であると。でも実際にはそのどれもが全て真実であるというのが正解。嘘はついてなくて、全てが本当なの。それがたまらなく好き。
例えばダンガンロンパ V3の百田解斗とか、ゴールデンカムイの鶴見中尉とか。ゴーストオブツシマの志村も。多面的な描き方されてるキャラが好き。(百田は制作サイドがどこまで意図したか謎だけど)

◾️好きなのはあなたの全てじゃなくて
風のような傷跡のような海の響きのような……🥲♪(エロティック/salyu)
畳む
『私の心がわかるように』
バイオレット「今…私に口答えをしているの?」めちゃくちゃ良すぎる😭💦たおやかな女性が内に苛烈な情念を秘めてて、それを静かに実行している様がとても好き(ピンポイントな萌え)
ウィンターの「オレのことだけをかわいそうに思ってくれ」もとても良い。良い台詞。私を愛してくださいのこんな惨めな言い換えがあるか…。書籍化してくれないかな…webtoonの書籍化って難しいのかな。

#愛について
◾️私の心がわかるように
バイオレット/女性……親
ウィンター/男性……子
◾️タイタニック
ジャック/男性……親
ローズ/女性……子畳む
さっきの投稿で「心を癒すことと物質的な解決は必ずしも関係しない」と書いたけど、そこに関連して、合理性と愛って対極にあるんじゃないかと思えてきた。
囚人のジレンマ(ゲーム理論)は全員が自分の利益を最大限追求するというルールのもとにしか成り立たず、誰かが自分以外の人の利益を優先しようとしたとき崩壊する。

愛って合理性を考慮しないことかもしれない。狂気と言い換えることもできる。だから福本作品でも、合理より狂気を崇高なものとして描いてるのかなあ。

「合理性」って全員にとって共通の価値があるもの、普遍的な価値が認められるものだと思う。だから理というんだと思う。それを越えさせる愛や狂気っていうのは、その人にしか価値のないもの。純然たる主観の世界。
客観世界の住人である合理にとって、主観世界に住む愛や狂気は、崇高で、唾棄すべき存在かもしれない。自分に100%betしている状態ってそういうことかも。決して客観世界からは生まれない。
#愛について #考えごと
ドラクエ11で
①カミュが黄金化が始まったマヤに手を伸ばそうとして引っ込める
②それを後悔していたカミュが2度目は黄金化を恐れず手を伸ばす
のシーンがちょっと泣いちゃうくらい好きで、そこについて思うこと。

長いので続きに。

最初にマヤが黄金化するシーンで、カミュが手を引っ込めたのは普通に正解なんだよね。あのまま手を取ってたらカミュまで黄金化して、解決できる人は誰も残らなかった。カミュが手を引っ込めるという合理的な判断ができたから、その後の冒険を経てマヤの黄金化を解除することができた。

でも、マヤの心が癒やされたのは、黄金化が解けたからではない。今度はカミュが、自分も黄金になってしまうことを恐れずに、マヤを抱きしめてくれたから。手を引っ込めてしまった自分の選択を後悔し続けて、今度は「自分がどうなろうと関係ない。マヤが大事だよ」って迷わず行動で示してくれたから。

だから、たとえ黄金化が解けなかったとしても、2人でそのまま呪われ続けたとしても、手を伸ばして抱きしめてくれた時点でマヤは救われていた。
黄金化が解けるとか呪いが解けるとかは、些事なんだよね。関係ない。

逆に言うと、マヤが絶望した瞬間は「黄金化の呪いが始まったシーン」ではなく「カミュが手を伸ばすのを躊躇ったシーン」であり、そのことをカミュもよくわかってたんだろうな…

心を癒すことと物質的な解決は必ずしも関係しないということをよく表してる素晴らしいシーンだと思う。

マヤがわがままで、カミュに色々と要求するのは、そのモノを通してカミュが私を愛してくれていると確認するために他ならず、お宝や宝石がほしいと言うのは、その要求を通じて兄と過ごす時間や、兄からの愛を要求している。
カミュもそれがわかってるから、マヤが可愛いし大事なんだろうね。

愛は常に、何かを通してしか渡すことができない。モノをあげる、抱きしめる。愛してるよって言う。「愛」そのものを直接与えることはできない。

#ドラクエ #愛について畳む
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