🏕️庭戸のキャンプ地🏕️

☕️niwato no camp ti☕️

創作や生活など、全部のことを喋るよ。ステータス…原稿中✍️

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これまで生きてきて、本当に接する相手や状況・環境によって、真逆の評価をもらうことがあるなあとしみじみ思う。絶対評価ってない。絶対的な自分も存在しない。
だから言われたこと(言外のメッセージも含め)全部を内面化しない方がいいなーと思った。嬉しかったことだけ大事ボックスに入れて、あとはこの人にはそう見えるんだな…(終了)くらいでいい。
というようなことをぼんやり思っていたら「内面化しない」というところについて面白い考え方に出会った。#考えごと

例えば誰かに何か言われて傷ついたとき、その相手が私を傷付けたのではなく、その人の言い分に私自身がそうだそうだと同調したから傷ついたのだと。私がその人の言い分を「採用」したからだと。私に作用できるのは実際には私しかいないという考え方。なるほどー。そういうふうに思うのもありかも。できるわからないけど覚えておきたい。
自分の中に入れるものをチェックして、住み心地をよくする。自分が感じること、どんな気分でいるか、全部自分で決めるんだと思うと、すごく自由な感じがする。この「自由な感じがする」っていうのが私にとって既に幸福に近い気がする。
頑張ってポジティブでいるとか、傷ついてないって否認するんじゃなくて、ただ私は私の味方でいる。私まで一緒になって私に石を投げない。当たるのはその石…私に作用できるのは私だけだから。
気分って制御不能な嵐のように感じていたけど、自分で決められるものだと信じてみると希望が湧く。気分よく生きるって本当に大事だ。人のためにもなる。畳む
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